ドイツ法人、マックス・ノブロック有限会社(Nachf. GmbH)の歴史

・マックス・ノブロック氏により1869年に設立

1869年当時の社屋

1869年当時の社屋

マックスノブロックファミリー

マックスノブロックファミリー

1869年〜1945年

郵便箱、パン容器、火よけ衝立、じょうろ、物差し、パラフィン・ポット、計量器などの生活・家庭用品を製造。 1914年にはドイツの主要都市に支店を有し、オーストリア・ハンガリーに総代理店を有するハードウエアに メーカーに進化。物差し及び計量器の生産において大手となり、遠くは米国の顧客と輸出契約を締結。
第一次大戦及びそれに次ぐインフレが、ハードウエアメーカーのマックス・ノブロックを危機に陥れた社員の半数は 戦争から帰ってこず、原料は僅かだったので生産は落ち込んだ。
1921年に、マックス・ノブロックは、当社を有限責任会社に変更した。彼の妻、息子ウオルター及び 娘ゲルトルードは共同パートナーとなった。
戦後年月を経て、事業は再び経済的復興を経験した。特許を取得したニス仕上げの”EMKA-Kristall”が発明され、 輸出が拡大した。1936年にマックス・ノブロックは他界し、僅か1年後に、彼の娘も他界した。 跡をついだのはウオルター・ノブロックでしたが、ドイツが1939年に戦争を始めた時、 彼自身は軍隊に召集されたので経営を権限をハーマン・クリストフに手渡した。それ以後、部分的に兵器生産を始め、 空軍用のフューズのケースを製造した。兵器契約は、別の経済復興に導き、機械設備は拡張された。 そのとき購入したドローイングプレス機は、今日でも未だ見ることができる。
戦争終結まで、従業員数は、いわゆる「志願者」、BDMガール等によって、合計140名まで、増加した。

1945年〜1990年

1945年にウオルター・ノブロックは他界し、ハーマン・クリストフ氏は、 ノブロック夫人とウオルター・ノブロックの相続人のアルブレヒト夫人を代理して事業経営を継続した。 1945年末までに、兵器生産への参加の結果として、ソヴィエト軍政の命令により収用。 しかし、1946年に返還された。社員は大幅に少人数になっており、原料は非常に入手難で、 住民には金がなかった。しかし、ハーマン・クリストフの経営の下で、兵器生産の残りの材料で最も必要な 家庭用品の生産が開始。料理用ポットが鋼板のヘルメットから、また、懐中電灯がフューズケースから作られた。 同時に、1947年に、電動手押し真空掃除機が開発。"EMKA"-手押し真空掃除機は、 間もなく生産の最も重要な 位置を占めた。クリストフ氏退職後、エルンスト・アルブレヒト氏が1953年に経営を引き継いだ。
"EMKA"-手押し真空掃除機のお蔭で、当社は、1959年に従業員160名で、 380万東独マルクの売上高及び約100万東独マルクの利益。機械設備の拡充を図る。 真空掃除機のための全国的なサービス網を拡充。商品は、西独、ベルギー、ユーゴスラビア、フィンランド、 ポーランド、ブルガリア、イラクに輸出。1971年に、エリカ・コルベが当社に、経済のへッドとして、 ラインハルト・コルベが副工場長として入社。1972年に、当社は、公共の資産に移転させられた。 1980年代半ばには、赤外線ラジエーターの完全組立て及び出荷が、工場の業務。1989年後半に始まった 東独における政変は、1972年に不当奪取された会社を取り戻したいという機運が盛り上がった。

1990年〜

コルベ夫人及びコルベ氏は1990年10月1日に、1869年以来存在していた事務所の土地建物は再び、 "VEB Elektrowarme Dobeln"から引継ぎ、34名の従業員で赤外線ラジエーター、鉄道加熱装置、及びパンチ商品の生産を再開。会社の名称は「マックス・ノブロックNachf. GmbH」のまま残した。
この時期に郵便箱の製造を開始。最初は、極単純な戸建て住宅用郵便箱であった。

当時の郵便箱

当時の郵便箱

1993年

集合住宅用郵便箱を製造開始。

1997年〜

デザイナーのヴォルフガング・ベイラー-シュレハイダー(Wolfgang Beiler-Schlehaider)との提携を開始。

  • ベイラー-シュレハイダーと共同で、新聞受け、屋外の照明、チャイムシステム、インターホンを取り合わせたデザイン性の高い郵便箱の拡充を図り「郵便箱シリーズ」を発表し、「近代建築学の最初で唯一完成された郵便箱シリーズ」と評された(デザイン誌「Topdeq」)
  • この後、多数の優れたデザインの郵便箱を発表した。例えば、モデル「Flash」は、世界で唯一の、収納部分のボックスをスライドして横に郵便物を引き出すタイプでした、同シリーズの「L.A.」は、郵便箱、新聞受け、インターホン、照明、これら全てを複合した多機能ポスト、「L.A.」シリーズは、2002年にドイツ最大のデザイン賞にノミネートされた。
Wolfgang Beiler-Schlehaider

Wolfgang Beiler-Schlehaider

Flash(収納部引出し状態)

Flash(収納部引出し状態)

L.A

LA

2002年夏

会社創業以来最大の災害が生じた―洪水の後も2mを超える水が工場内に滞留し、大部分の機械設備は使用不能になり、 建物も損害を受けた。経営陣は町の丘の上に全く新規に製造工場を建てることを決定し、従ってこの洪水後は、 機械、建屋への投資は全て新工場へ行われた。この間、生産は元の場所で始まったが、全員が新建屋及び新設備を待望。

2003年

2003年2月22日より新工場建設工事を開始。2003年9月29日に稼動開始。

新社屋の基礎工事作業中

新社屋の基礎工事作業中

建物完成

建物完成

工作機械を搬入

工作機械を搬入

新社屋完成式典

新社屋完成式典(10月10日)

完成式典には来客及び全社員勢揃い

完成式典には来客及び全社員勢揃い

完成直後の新社屋

完成直後の新社屋

2008年

約70名のスタッフが、3分野に大別された製品を生産、高規格の戸建用郵便箱、集合住宅用郵便箱、 及びヒーティングシステム(赤外線ヒーター)、また、特注の、板金加工・特殊加工などを、日本、ヨーロッパ、 米国、カナダへの輸出、かつ、ドイツで5,000軒の小売店と取引している。
・ 2006年の売上高は、約5百万ユーロ

マックスノブロック社全景

マックスノブロック社全景

冬のマックスノブロック社

冬のマックスノブロック社

玄関の受付カウンター

玄関の受付カウンター

CADによる新商品開発

CADによる新商品開発

日本のレーザー加工機も活躍

日本のレーザー加工機も活躍

工作機械を搬入

工作機械を搬入

粉体塗装作業

粉体塗装作業

シルク印刷でPOSTの文字

シルク印刷でPOSTの文字

組立て作業。女性も活躍。

組立て作業。女性も活躍

目視による最終チェック

完成品置き場

完成品置き場

コンテナへの積み込み

コンテナへの積み込み

マックスノブロック社ロゴの変遷

1890年頃のロゴ 1920年頃のロゴ 1930年頃のロゴ 1991-2002年のロゴ 2003年から現在のロゴ

1890年頃

1920年頃

1930年頃

1991-2002年

2003年〜現在